リジョンの概要 〜誕生から創世紀を振り返って〜

リジョンの概要 〜誕生から創世紀を振り返って〜

ベンチャークラブの誕生

 ソロプチミストクラブのスポンサーにより、優れた将来性を備えた若い有職女性たちをメンバーとする「青年グループ」を結成してはどうかという考えが、ロサンゼルスクラブのマエ・カーベルの頭に浮かんだ。
 その考えに基づいて最初の「青年グループ」が1927年彼女の指導のもとに結成された。2番目のグループは、1931年ミズリー州カンサス市のチリ−・ヴァンダイクの指導のもとに結成された。
 以後、各地に「青年グループ」又は「ジュニアソロプチミスト」が結成されたが、それぞれの地域に独立していて、他の地域のグループとの交流はなかった。スポンサーするソロプチミストにおいて、その手続きに何らかの統一性及び一定の基準を設けることが必要となった。その第一歩が、名称の統一であった。そこで選ばれたのが「ベンチャー」という名称であるが、
これはイギリスの有職女性グループが、1930年にソロプチミストに合併されるまで使用していた「ベンチャークラブ」という名称を記念して復活させたものである。

 1934年メリーランド州ボルチモアで開催された第3回2年期大会において、「青年グループ」を「ベンチャークラブ」と呼ぶことが決議された。但し、名称変更を希望しない2つの「青年グループ」については、現状のままとすることを承認した。(1938年ソロプチミストクラブアメリカ連盟第5回2年期大会議事録より抜粋。)

VCA誕生、そして解散

VCA誕生、そして解散

 1938年には、15の「ベンチャークラブ」と2つの「青年グループ」が、広くアメリカとカナダの地域に分布していた。その17のクラブは、ソロプチミストクラブアメリカ連盟第5回2年期大会において、アメリカベンチャークラブ協議会を結成することを許可された。この協議会は1964年の連盟大会で、ベンチャークラブアメリカ協議会"The Venture Club Council of the Americas"と名称の変更が決議され、1966年の大会閉会後発効された。更にこの名称は、1974年6月大会でベンチャークラブアメリカ"Venture Clubs of the Americas"(VCA)と変更された。
 ベンチャー協議会の領域は、当時のソロプチミストクラブアメリカ連盟の領域と同一にされた。連盟の名称が「国際ソロプチミストアメリカ」と変わった後も、その規約はそのまま継承され、VCAの領域は同一にされている。

 日本におけるベンチャークラブの歴史は、1977年6月の京都クラブの認証から始まる。
日本はVCA直轄のエリアだったが、1981年、当時のSIベンチャースポンサーシップ委員長より、リジョン設立の声が挙がり動きはじめた。

 第1回目のベンチャー会議においてリジョン設立準備委員会が設立された。委員会メンバーは各地域から1名ずつ選出。当時のクラブ数は16で運営のための資金作りとして"ふれあいTシャツ"を1万2千枚作成、約1千万円の純利益は、リジョン設立に必要な経費や記念寄付(ユニセフ飢餓基金)などに使用された。

 ベンチャー委員長はじめソロプチミストの皆様ご指導のもと、多くの問題点を乗り越え、3年の準備期間を経て1984年5月12日、ゼラ・ステンプルVCAガバナー会議長より、小泉志のぶ初代ガバナーに認証状が贈られ、ベンチャークラブアメリカ日本リジョンが誕生した。折しもベンチャー誕生50周年を記念する年であった。日本リジョンは、SIA日本5リジョンのスポンサーシップのもと順調に歩み、1984年5月12日に20クラブ、約400名でスタートしたVCA日本リジョンも18年を経て、130クラブ、約1870名を有するVCA最大のリジョンとして発展した。VCAや日本の中で更に組織として最良の発展をしていくために、2002年5月11、12日に開催された第18回VCA日本リジョン大会(宮崎市)にて日本リジョン分割の採択がなされ、5リジョン設立への一歩を踏み出した。しかし2002年10月SIA連盟理事会が決定したベンチャークラブの機構改革により、VCAは2004年6月30日をもって連盟的機構が解消されることになった。これを受け、日本5リジョンの各ソロプチミストがそれぞれの方針に従ってスポンサーしていくこととなった。2004年6月5日VCA日本リジョン大会でVCA日本リジョンを解散する決議がなされ、6月30日20年の歴史に幕を閉じた。

国際ソロプチミスト日本中央ベンチャーリジョン設立

国際ソロプチミスト日本中央ベンチャーリジョン設立

  2003年10月ベンチャークラブアメリカ日本リジョンは各ブロックベンチャー組織設立準備委員会を設立した。Dブロックベンチャー組織設立準備委員会は、10月15日にリーガロイヤルホテル(大阪市)において開催された。当時ベンチャークラブアメリカ連盟機構解消が通達されたことにより第18回ベンチャークラブアメリカ日本リジョン大会(宮崎大会)で決議された各ブロックの5リジョン設立は各地域ごと再検討となっており、通達にのっとりDブロックも初心に立ち返り、リジョン設立について協議することとなった。設立準備委員会3名、ベンチャークラブアメリカ日本リジョン担当役員1名、国際ソロプチミストアメリカ日本中央リジョン理事会、ベンチャースポンサーシップ委員会出席のもと、組織の有無の確認、ソロプチミスト様の温かく強力なご支援により国際ソロプチミストアメリカ日本中央リジョンスポンサーによるベンチャーリジョン設立が早々に決議された。この決議によりDブロックはベンチャークラブアメリカ日本リジョンが提案した草案を基に、国際ソロプチミストアメリカ日本中央リジョン役員会、ベンチャースポンサーシップ委員会の温かいご指導のもと以後3回の設立会議を持つこととなる。2004年2月11日第3回委員会で組織名も決まる。

 2004年6月6日第20回ベンチャークラブアメリカ日本リジョン大会(橿原市)においてDブロック会議が開催され、細則、一般会計予算書案が採択、承認、ガバナー、セクレタリー、トレジャラー、ボードメンバー4役が任命された。

2004年7月1日、国際ソロプチミストアメリカ日本中央リジョンガバナー対馬信子様より銅傳あゆみ初代ガバナーが認証を拝受、23クラブ、355名、国際ソロプチミスト日本中央ベンチャーリジョンが誕生した。